・南北朝時代、京都の長岡右京が長洲に来て住んだ。
この頃は多くの上方人が長洲にくる。
・右京の11代子孫長岡左馬が僧「明蓮」に帰依、法名を「了西」とした。明応年間(1492-1500:一向宗が急激に拡大。一向宗は、一向一心に念仏を唱えることから他宗のものがそう呼んだ)
・1505年、長岡左馬は長洲に帰り,花水道場を開く。(一向宗は門徒を組織するために講を組織。講は道場に属し、道場は
末寺に属した。注花水道場は明蓮寺末)
・1556年花水道場は称寿山妙満寺となり格式は特別上座一等地で宇佐郡きっての名刹となる。
・1743年四日市真勝寺(現東別院)に帰参し、御兼帯所(本山直轄寺院)となる。