海賊と呼ばれた男(出光佐三)と宇佐神宮

出光興産創業者出光佐三の遠祖は、宇佐神宮の大宮司を勤めた家柄。

「僕の家には昔から言い伝えがある。大分県の宇佐神宮のそばに出光村というところがあり、そこから光が出たことから出光という名がついたらしい。」と語っていたと言う。

 

出光100年史によると、出光佐三の遠祖は、応仁以降の戦乱を避けるため、大分の宇佐から福岡の赤間に移住した一族とある。

中世の宇佐神宮大宮司

宇佐神宮大宮司出光公和は宇佐朝臣公通から数えて17代目

 

 

教覚寺住職で豊の国宇佐市塾塾頭平田崇英氏も公通の末裔

 

「教覚寺の歴史」によると、公通は教覚寺のある森山に居住しており、森山は平田の庄であったことから、平田公通とも呼ばれていた。