宇佐おもしろ歴史ピクニック

昨年までの机上学習から、史跡に行っての現場学習に進化した「おもしろ歴史ピクニック」に参加した。

二回目の今回は、宇佐市図書館から駅館川サイクルロードに沿って宇佐ホテルリバーサイドまでの間で、観る事ができる史跡と交差点を渡っての法鏡寺跡、貴船神社及び宇佐文化会館の建物、備品等に隠された歴史伝承の為の仕掛けを学習した。

 

いつもながらの深い知識、こなれた解説をしてくれる小倉講師に感謝!

ピクニックルートと解説

解説1図書館を出発し、駅館川沿いサイクルロードの入口から西方を望む。西方に延びる道路が奈良時代の官道。(宇佐使が来た道で、現在整備中との事)

解説逆の東方を望む。講師より、次の質問。

 Q:風土記の丘(県立歴史博物館)周辺に縄文、弥生時代の古墳群があり、 

 この周辺で稲作が行われていた。この地は、駅館川よりかなり高い地に、こ

 の時代灌漑は無理。では、稲作の為の水はどこから?

 A:標高差のある駅館川東部への疎水は、南一朗平らの決死の努力にり明治初年

 に完成。縄文、弥生時代は、池や溜水を利用して行われていたと推測される

群瀬神社

解説3江戸期に書かれた瀬社の絵図にみる「駅館川」の名前の由来

平安時代までは宇佐川と呼ばれていた駅館川。いつ頃からその名がついたかは不明であるが、名前の由来は、宇佐八幡に向かう宇佐使(勅使の総称)の宿場(駅)となったにあると言われている。

馬の鞍を置くための石はその名残。

「宇佐の駅宿址は宇佐川の傍らにあり故に宇佐川を駅館川と言うなり(太宰管内志)」

 *太宰管内志は、江戸末期の国学者伊藤常足が著した九州の地史

駅の場所は、現在の上田に駅館の小字が残ることから、そのあたりの説もあるが定かではない。鞍置石は現在もこの場所にあるが、奉納等の理由により、ここに移設されたものではないか?と思われる。