小松酒造さんは、私が現在すむ実家のご近所さん。私のセカンドライフ(退職と同時に実家に帰郷、両親と同居。浦安にある自宅との二拠点生活)とほぼ同じタイミングで六代目を決意した潤平氏が蔵を再興されたようです。
浦安の自宅に戻った折、東京駅地下「銀の鈴」近くの大手酒問屋長谷川酒店のアンテナショップで豊潤を目つけると買い、同期OB会などの機会によく自慢しています。
菊姫や雪中梅が好みだった私にとって、豊潤はほぼ同類の味に感じ、中でも新酒の「BEGIN」と秋の「ひやおろし」は私の愛飲酒となっています。
まずは、小松酒造場ホームページの会社概要です。
大分県北部に位置する小松酒造場は、明治元年(1868年)小松悦蔵によって創業しました。蔵のある宇佐市長洲地区は、酒造りに適した水と、宇佐平野でとれる米、冬の季節風という恵まれた環境により、長洲という狭い地域にかつては7件の清酒蔵があった酒どころです。
昭和63年に製造を休止しましたが、製造を委託しながら清酒蔵としての営業を続けてきました。
平成20年、6代目の帰省を機に製造を再開しました。
平成30年、創業150周年。豊潤ブランド10周年を迎えました。
*大正元年清酒品評会出品の長洲受賞銘柄
白雪 江本追吉
白露 富永精太
延命 久保忠治
金鶏 高橋幡次郎
小松の緑 網中音作
金玉 永元重市
以下は、今戸公徳著「豊の国おおいた今昔物語」に記された小松酒造場の物語です。
初代 - 悦蔵 (天保8年:1837年~S6年享年94歳)
*私の祖祖父「住野笹市」の父:長右エ門が天保元年生まれ。
2代目 - 弘太(M3年~S29年享年87歳 日出町からの養子さん)
3代目 - 悦治(M29年~)*私の租祖母住野レイがM28年生れ
広治、重弘、林、留治、悦夫の6人兄弟の長男
次男:広治は一次大戦シベリア出兵で戦死。彼の武勲を留めるためメインの酒名を「勲の松」とした。また、残る五人の兄弟の絆と団結の思いを込め「五人男」の酒名も!
*明治末期から大正期にかけ、日露戦争勝利、一次大戦による好景気により国内の酒造は空前の増石数(370万石→590万石:1.6倍)となる。特に、小松酒造は産炭地直方、鉄の八幡、軍都小倉に拠点を設け、経営基盤を盤石のものにしていた。
4代目 - 広(T10年) 長男悦義は戦死したため、次男広が4代目を継ぐ。
生け花、カメラ、海外旅行が趣味。妻幸子も書道家で新聞社女流にも出品。
5代目 –弘見(S19年)
長女 :日田の酒造家に嫁ぐ
二女朋子:(S49年生):栄養士で地元
病院勤務
長男 潤平
6代目 - 潤平(S57年生れ)
小松酒造場 以下、ホームページより ご本人のご挨拶
平成20年11月28日、早朝。酒米を蒸す蒸気が 20年ぶりに蘇りました。昭和63年に休業した酒蔵に、 再び活気を取り戻したい。 決意してから13年。清酒離れが進むなか、 自分の目指す酒とは?
販売先はどうするのか・・・
何度も自問自答しながらも、 多くの方々に支えられて、ここまでたどり着く事ができました。
造りを再開した平成20年は蔵の新たな歴史の始まり(Begin)です。
家族中心で造る小さな蔵ではありますが、毎年造りを重ねてより良いお酒を造れるよう精進していきたいと思っています。
下記は、数年前に開催された小松酒造場「稲刈りイベント」に参加した際のFB投稿内容