蓑虫山人こと勤王の志士「土岐源吾」

左は図書館から借りた「蓑虫山人絵日記」

解説編の冒頭に蓑虫山人の紹介と本書の発行経緯について山口馬城次氏が書かれています。

 

蓑虫山人絵日記の複製発行によせて

隠れた勤皇の志士、蓑虫山人こと土岐源吾は、沢三位卿を奉じて、同志と共に生野銀山に尊皇討幕の義挙を決行しました。不運にも戦い敗れて九州に逃亡することになりましたが、その途中に詠んだ

議論より実を行へなまけ武士  わが打つ太刀の血煙をみよ

という勇ましい歌が伝えられています。また熊本より大分に入り、宇佐郡麻生村の禅源寺 境内に犠牲となった同志の霊を弔う為、鎮魂歌三首を刻み慰霊の塔を建立し、幕吏の目を一 くらます為にこれを歌塚と名付けたりしたと伝えられています

山人は今日の考古学、民俗学、造園等に造詣が深く、加えて画才にも恵まれていました。 宇佐郡山口村の庄屋であった当家に身を寄せていた間、彼は宇佐八幡宮を初めとするこの地方の名所旧跡、文人墨客を訪ねては、その印象を画帖にしたためています。それには江戸時代末期の風物と世相が活写されており、文化財としての高い内容を有しております。

当家に伝わるこの貴重な資料が、この度の企画によって多くの方々に御愛読いただけるようになったことは、私の大きな喜びとするところであります。

昭利六十二年春 -

山口馬城次

私の父は岐阜県出身。両親の仲人は土岐さん。私の父型の祖父の名前は源吾!これも何かの縁、蓑虫の袋の中身、少し覗いてみることに!