教覚寺の開基について

以前書いた「宇佐公通と教覚寺及び平田家」に一部誤記があったので修正。ついでに、「豊前森山教覚寺の歴史」の二、草創に記載されている教覚寺の開基について各種資料の共通点と相違点についてまとめてみた。

資料

・県政資料明細表(M23年県庁に提出)

・教覚寺縁起A、Bその他

・平田一男氏系図(森山村の庄屋)

・乙咩政己著「宇佐宮大宮司職について」

 

共通点

 明心が六字名号(南無阿弥陀仏)のお供をして帰郷した。

 教覚寺の開基は明心

異なる点

 平田公頼が発心して玄了を名乗り、その子の公照(西願)が蓮如上人より明心の法名を授かった。(寺院明細表)

 公高(玄了)の子が公照(西願)で、その子の公良(明心)が蓮如上人の徒弟となり教覚寺を開く。(平田一男系図)

 開基年は、文明三年(1471)明応元年(1492)明応六年(1497)の三説あり。