25日開催の市塾35周年記念行事の手伝いで、当日配布用の資料及び市塾のこれまでの歩みの紹介動画を作ることになる。併せて、半分押し付けだが市塾のHPも作成してみた。 配布資料表紙に重大なミスを見逃してしまい、永久保存されることに😢 「清瀬保二の世界Ⅱ」を「清瀬保二の世界の世界Ⅱ」とやってしまう 宇佐市塾応援隊HP
いつもお世話になっている宇佐市塾の塾頭で教覚寺第二十代住職の平田崇英さんに以前頂いた「教覚寺の歴史」を久々に開いてみた。以下、興味のあるところを自分なりに、・・・
30周年記念行事として開催された宇佐市塾開塾30周年シンポジウムに行ってきた。 兎角、パネラー達の見識披露が主体のパネルディスカッションが多い中、春に行われる平和ウォーク(戦跡めぐり)でのガイドを務める小学6年生達の言葉よりも思いが伝わってくるディスカッションは新鮮だった。 司会進行役を務めた平田塾頭の技量によるところが大きいと思う。...
南一郎平 1836年(天保7年)-1919年(大正8年) 大分県宇佐市出身 駅館川右岸の台地に広がる宇佐平野灌漑水路建設、難工事故に未完に終わっていた広瀬井出工事を父の遺志を継ぎ取組む。資金不足、難工事と戦いながら私財をも投じ完了させる。その後、後に首相になる松岡正義に請われ、、日本三大疎水工事にも携わり、日本疎水の父と言われるようになる。...
例会を兼ねいつもの教覚寺で行われた。 平田塾頭のいつもの潤滑油により、「もっと飲みたい、もっと聞きたい」のあっという間の4時間であった。 お土産に、...