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宇佐神宮と夏目漱石

「宇佐文化財を守る会」31年度総会での記念講演:書道家の池田英徳による「夏目漱石の俳句と書」

より、下記はその資料

第五高等学校(現熊本大学)の教授であった漱石は、 一八九九年(明治三二)の正月、冬休みを利用して宇佐神宮に参詣し、旧宇佐駅(柳ヶ浦)で一句、宇佐神宮で七句を詠んでいます。

一月一日()に熊本を出発。鳥栖、博多を経てその日は小倉に宿泊。そして二日の午後、豊州鉄道終点の宇佐駅(現在の柳ヶ浦駅)で下車してから歩いて宇佐神宮へ。初詣後は再び四日市町まで歩き一泊しています。三日は耶馬溪の羅漢寺、四日は柿坂を経て守実泊。そして五日は日田、六日は久留米を経て熊本に帰っています。 漱石三十二歳の宇佐神宮参詣旅行でした

我に許せ元旦なれば朝寝坊

元旦屠蘇を酌んで(くんで)家を出ず(二句)

金泥の鶴や朱塗りの屠蘇の盃

宇佐に行くや佳き日を選ぶ初暦

正月二日宇佐に入る、新暦なればにや門松たてる家もなし

④蕭条たる古駅に入るや春のタ

※蕭条(しようじよう)=ものさびしい様

古駅豊州鉄道終点の宇佐駅(現在の日豊本線柳ヶ浦駅)

下車して宇佐八幡まで歩く。

参詣後、歩いて四日市に至り一泊。

宇佐八幡にて(六句)

橋を呉橋といひ川を寄藻川といふ(一句)

⑤呉橋や若菜を洗ふ寄藻川

⑥兀として鳥居立ちけり冬木立

※兀(こっ)ⅱ高くそびえた頂が平らな様

⑦神苑に鶴放ちけり梅の花

⑧ぬかづいて日く正月二日なり

⑨松の苔鶴痩せながら神の春

⑩南無弓矢八幡殿に御慶かな

宇佐八幡は、皇室においては祖先の霊を祭り、武家は弓矢(武運)の神として崇めた。

※御慶(ぎよけい)日新年のあいさっ

神かけて祈る恋なし宇佐の春←「彼女はひと妻。だから神様に願掛けなどできない!」漱石が愛していたのは、女流作家で人妻の大塚楠緒子。彼女が35歳で亡くなった時の追悼句。関連句に「あるほどの菊投げ入れよ棺の中」

明治三一一年 『正岡子規へ送りたる句稿』

 

ドイツ製蒸気機関車のクラウス号

日本国有鉄道(国鉄)の前身である九州鉄道株式会社は、 一八八九年(明治二二)に博多・千歳川(久留米)間で開通しました。蒸気機関車はドイツ製が採用され、 一八八九年から一八九四年(明治二二~二七) の間にミュンヘン市のクラウス社から二0両を輸入しました。

その後、国産機関車の製造によって廃棄・売却されたため、今では全国に三両しか残っていません。その中の一両が宇佐参宮鉄道で利用されていたもので、県指定有形文化財として宇佐神宮境内に保存展示されています(他は北海道と岩手県)

 

漱石が明治三一一年に熊本から博多駅に行った際、このクラウス号が牽引する列車に乗車していた可能性も考えられます。