初めて飲んだ吟醸酒は菊姫

学生時代、日本酒は酔うため、酔わせる為の酒であった。やかんで直接燗付けされた二級酒を茶碗で!のパターンが多かった。就職し、新入社員と言われる数年間は、このパターンとさほど変わらなかった。入社7年目の1980年、丸の内にある本社に転勤、システム関連の担当となり、全国に8社ある取引先の管理者となる。ある時、とある取引先から接待を受け、お茶の水の割烹に行った。ここで出会ったのが、菊姫大吟醸であった。この時から、日本酒に対するイメージが一変、とりこになる。

年末、8社の取引先を呼び高輪にあった社の厚生寮で大忘年会を開くことにした。費用は勿論こちら持ちだが、なぜか各社自慢のご当地酒を持ってくるようになった。

ある時から、この忘年会は銘酒会と呼ばれることになる。...といったことから、各地への出張も多く全国の著名な地酒はほとんど飲んだと思う。

新宿の京王プラザの1階に、たぶん全国初だと思うが、日本酒のショットバーが出来てよく通った。

変わったところでは、日本酒プロデューサーなる肩書を持つ関矢健二氏なる方のプロデュースした酒「思わず絶句」にしばらくはまったことも。~1986年本社を離れるまで、いい時代を過ごしました。下記の日本酒の変遷によると、「地酒ブームの到来」~「量から質へ」の時代でした。

*日本酒の変遷

お酒情報サイトalcoolのコラムによるとこの50年間の日本酒の変遷は
1950年代〜1960年代 「地元酒から全国酒へ」
  この頃の日本酒はアルコール度数の審査によって、特級、一級、二級で区分けられていた。
  また、それまで地元の酒が地元で消費されるローカル商圏だったが、次第に全国規模で展開す 

  るナショナルブランド(辛口、本格派の剣菱、菊正宗等)が登場する。

1970年代〜1980年代前半「 地酒ブームの到来
  高度成長終焉をもとに、全国区酒以外の個性あるご当地酒に注目が集まりだした。
  宮城の浦霞、新潟の越乃寒梅が牽引役となった。
1980年代後半〜1990年代前半 「量から質へ」
  より高品質を求める要求が強まり、原料、製法が追及されるようになり、従来の徴税目的の等 

  級分けから、品質・製法をもとにする分類、普通酒・特定酒(純米、吟醸等)が生まれた。
1990年代後半〜 「蔵元による酒造りの時代」
  バブルによる行き過ぎた高級志向への反動と杜氏の高齢化への対応として若手蔵元杜氏が登場     

  による本当に作りたい酒への挑戦が始まった。
  山形の十四代を筆頭に個性豊かな酒が賑わいだした。
2000年代には山口の獺祭が台湾への輸出を開始、2006年には愛知の醸し人九平次が仏ミシュラン

  三ツ星レストランのワインリストに登場、2007年には世界最大のワインコンペIWCに日本

  酒部門が新設された。

 

友人久恒啓一のブログより

 

冨田薫先生を囲む会

近所の造り酒屋

 

小松酒造場

 

〃が主催する秋のイベント