長洲大火事件 長洲の地名が歴史に初登場

左記文書により、長洲の地名が歴史書に初登場

 

1516年(永正13年)長洲村は放火され、83名もの負傷者がでた。

「事の起こり」

・永正13年正月20日、乙女村の平左衛門が長洲に来ていて争いを起こし殺される。

・平左衛門の親の孫左衛門が親戚の来縄(豊後高田市)の吉久と相談し、乙女村と来縄の親戚を引き連れ4月16日の夜長洲に乱入。

・長洲側も応戦したが、放火され83名もの負傷者が出た。

・長洲村の領主である宇佐神宮の宮成大宮司は、「神領を犯すとはとは何事!天罰が下るであろう」と大友氏の奉行に届け出る。