宇佐おもしろ歴史ピクニック

 今回のピクニック先は、院内にある蓮華寺とその奥の院である小坂不動尊

蓮華寺 (蓑虫山人絵日記解説より)

当寺は宇佐郡院内町大字小坂に所在、宗派はもともと真言宗。「寺社寄帳」(十七世紀後期)によれば、江戸時代初期は明王山蓮華寺で、本寺は宇佐北院(真言宗)末派となっている。戦後、浄土真宗に転宗 し、その後廃寺となった。しかし、現在もこの絵日記のように、蓮池、弁天、住吉宮などの風景が残っていて、この寺の由緒を物語っている。 この絵日記によると、小坂山知足院蓮華

と称している。この山号、院号の出典は何であろうか。本尊は不動尊ということである。不動尊は岩窟の中に安置されている。この不動尊は土仏であるが、天下旱魃 (かんばつ)のおり、一千日の護摩供祈祷(ごまぐきとう)を修し、その灰で作った霊験あらたかな尊像 と伝えられている。明治三十三年の「明王山蓮華寺境内図」によると、この岩窟は降魔殿と記され、横に お籠り堂も描かれ、また境内の参道を挟んで、放生池、鎮守(住吉宮)が描かれている。 蓮華寺の境内はこの絵日記や境内図に示されている範囲と考えられ、広範囲の境内をもっていたことに なる。宇佐弥勒寺北院(現在の宇佐神宮境内地)との関連もあり、密教霊場として、中世あるいはそれ以前にさかのぼる寺院であろう。

小坂村は、現在、交通路から隔絶された村落となっているが、蓑虫山人がこの蓮華寺を訪れたのは、安心院の南毛から、広瀬を通って、宇佐に抜ける道筋があったからであろう。当時、この道が宇佐から安心 院へ抜ける道であったと思われる。

(極楽寺住職:国東利行)

蓮華寺奥の院本尊不動三尊像」

蓮華寺跡の北方の崖の中腹に穿った石窟には、 同寺の奥の院である不動堂がある。瓦葺きで縁を 廻らした方三間ほどの小堂で、内部には同小堂の本尊である塑土製の不動明王坐像および矜羯羅(こんがら)制咤迦(せいたか) の二童子立像が安置される。 木組の芯に縄を巻きつけ、それに訪 (ス サ)入りの粘土で肉付けを行い、表面仕上げに漆喰を塗り彩色を施してある。江戸中期頃の造顕で あるが、その大らかな作ぶりは、不動で四・ハメートル、二童子で各一・六メートルの像高ととも に堂内を圧する偉容を誇っている。堂内に残された修札によれば、寛政元年ニ七八九)に彩色の塗 り直しが行われ、また正徳五年(一七一五)、享の保十三年(一七二八)、文政十三年(一八三〇) には大がかりな不動護摩供の法会が実施されている。

(渡辺文雄)

 

 昭和58年青潮社出版「銅版画大分懸社寺名勝圓録復刻版」

蓑虫山人絵日記に書かれる蓮華寺周辺図に「古墳」と記さる石塔群

大小の五輪塔が多くあるが、大半は倒れ五輪の形をとどめてはいなかった。