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長洲小百年史 第四章長洲の近世史 (9)屋号

貸出期限をとっくに過ぎた「長洲小百年史」からの今回の読取り作業、返却前日の今日、第4章(9)の屋号に取組んだ。田山徳光氏が、墓碑と宮座記録の調査による江戸期からの100を超える屋号について紹介している。私からすれば、墓碑探しに始まり、決して読みやすくはないであろう石文の読取り等想像を絶する作業に感服する。大半は初お目見えの屋号だったが、数件に聞き覚えがあり、記憶をたどってみた。

古手屋:聞いたことがある.…程度の屋号だったが、これ程だったとは?往時の勢力が偲ばれた。

出来屋私が中学の頃、食品販売の店舗を営んでおり、同級生もいた。確か福井瑛一君だったと記憶する。彼のお兄さんは、中津工業で評判の相撲部員。ある時わがサッカー部のキャプテンと喧嘩となり、太ももをノミで刺され、我が家の前の道に点々と血痕が残っていたのを記憶している。その後鉄道事故で若くして亡くなられた。

多力屋えび舎による水産加工業経営の祖。M22年には、国内はもとより、台湾、樺太にまで進出、拡大した。 

油屋:油屋は知らなかったが、江本直氏と記されていたので目に留まった。氏は長洲中学時代の恩師で、担任ではなかったが、在学中何故か大変かわいがって貰った。油製造→酒造→旅館を辿ったようだが、先生の時代には文房具屋を営んでおられたと記憶する。

 姫路屋:実家のご近所さんである。「業不知」とあるように、私の知る限り、特にこれといった商売をなさっているとは思われなかった。但し、松成さんは、名前では近所の有名人。九の一字で「いちじく」さんといった。一昨年亡くなられた息子の松成栄勝さんは、伝統文化財でもある長洲据え灯籠製作の第一人者で、彼の代ではこれが生業だったと思う。