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修一が旅立った

彼との出会いは分大サッカー部。私が彼に似てか、彼が私に似てか?背は小さく、童顔が共通点。彼は竹中の実家からバスで通学していた。友人:松尾俊作の弟の恭助と同級、ポン友関係にあり親しくなった。サッカーでは、共にフォワードだったが、各々の性格を反映し、プレースタイルは全く異なっていた🤣

よく一緒に飲んだ!酔っぱらった時には面倒を見てもらった。時には介護まで、・・・・

「成績不良の私でも入れたのだから…」の理由からか?、私を追っかけ出光に入ってきた。

入社後、彼は石油化学の道を歩き、当時話題の真空パック布団袋の開発・製造・販売には、先駆者として大きく貢献した。後に社長になる月岡と同期で仲が良かったようだ。妻の明子さんとは社内結婚で、浦安のハッピーベル社宅で一緒、子供たちがよく面倒を見てもらってたようだ。当時同じ社宅の彼の同期小野君はじめ、どこか不安さ・危なっかしさを感じる非体制派、一匹狼的性格の友人が多かったように思う。そんな友人を慰め、支えることに喜びや意義を感じていたのかもしれない?

私も学生時代から支えられた一人かも・・・・

 

合掌

 

『結んだご縁や家族の絆を大切に 沢山の笑顔を紡いだ人生』

                         故後藤 修一儀(七十歳)

夫と結婚して四十年以上が経ちました。 紡いできた思い出の中で忘れられないのは、やはり農作業をする生き生きとした背中です。

我が家の暮らしを守るために定年までしっかり勤め上げた夫は、生まれ故郷の竹中に戻って大好きな農業を始めました。

トラクターで土を耕し、ぐんぐん伸びてくる草を刈り・・・大変な作業も、収穫した野菜や果物を美味しそうに食べる皆の顔を 思えば頑張れたのかもしれません。

そんな働き者で朗らかな夫の周りには自然と人が集まり、我が家には賑やかな声が響いて いたものです。結んだご縁や家族の笑顔に彩られた日々には思い出という名の花が沢山咲きました。きっと今頃は良い人生 だった〟と笑っていてくれると信じています。

後藤修一は、令和四年八月三十日、七十歳にて皆を愛し、そして愛された生涯に幕をおろしました。皆様のお力をお借りしながら夫は人生という道を心豊かに歩むことができました。 生前賜りましたひとかたならぬご厚情に深く感謝申し上げます。 本日のご会葬誠にありがとうございました。

 

     喪主後藤明子 外親族一同

2021年2月26日 自宅で療養中の彼を見舞った時の写真。その後、9月2日訪れた時は、信司から「一緒にサウナに!」の誘いを受けるほど元気だったのだが!