時に種々の思惑に利用される?宇佐八幡神の託宣

道教事件をまとめていたら、ネット「日本史跡NAVI」のサイトに八幡神の託宣にかんする部分があり転記させてもらった。

 

日本史跡NAVI 宇佐神宮/道教の宇佐八幡宮神託事件が起きるまでより

(神託が利用された事例の抜き書き)

聖武天皇大仏建立

極めつけは、聖武天皇が開始した大仏造立への協力です。 大仏造立では、最後の仕上げとして塗金の工程が必要でしたが、肝心の金が足りず、聖武天皇は悩んでいました。そんな中、宇佐神宮の神職である大神杜女(おおがのもりめ)と大神田麻呂(おおがのたまろ)から 「八幡神自らがすべての神を率い、己の身をなげうってでも大仏造立を成功させるであろう」という八幡神の託宣が聖武天皇に奏上されたのです。その託宣が現 実になったかのように、 陸奥国で日本初となる金鉱が発見され、大量の金が平城京に献上されました。聖武天皇は大喜びで、749年、八幡神とともに宇佐から上京してきた杜女と田麻呂に位階や土地を賜ったとのこと。

しかし、5年後、杜女と田麻呂の2人は突如として位階を取り上げられ、 それぞれ日向国と種子島へ流罪となります。 与えられた土地もすべて朝廷に返却されたとのこと。事件の真相は不明ですが、大仏造立に関わる八幡神の託宣は杜女たちの嘘だったようです。 とはいえ、 大仏造立の一件によって、中央の朝廷と九州の宇佐神宮との間には 強い結びつきができたのでした。

道教事件

道鏡に取り入ろうとした者が九州にいた。大宰府で主神司の職にあった習宜阿曾麻呂です。 前任の地が豊前国だったことから宇佐神宮とも関わりがあったのでしょう、彼は 「道鏡を天皇の位につければ世は太平になるだろうと宇佐八幡神の託宣があったそうでござい ます」 と、 称徳天皇に奏上したのです。 道鏡に取り入るためにでっちあげた話でした。

この神託に対して、さすがの称徳天皇も疑問を持ったのか、道鏡を愛するあまり念には念を入れようとしたのか。 神託を再確認するために、正直者で評判の和気清麻呂を宇佐神宮に遣わします。

 宇佐に到着した清麻呂は、 亀山の本殿ではなく隣の大尾山に登ります。八幡神は亀山を離れ、ここに一時遷座していたためです。清麻呂は八幡神の前に額づき、神託を待ちました。 すると 「この国は開闢以来、臣下が君主となるようなことはなかった。天皇の位には必ず皇統の人をつけよ」 との声。 その内容は、 道鏡の期待に反するものだったのです